森の妖精

100字。日課。

3/16

思いつきで棋譜並べを始めることがある。それで秀策を並べるのだがいつのまにか太田雄蔵を並べることになっている。(いつの間にかそのように検索してしまっている。)太田雄蔵は石のつながりを強く意識して打ってる気がする。でもまあ自分にはこれぐらいのことしか分からない。分からないから分かりたいと思って並べる。そうしてしばらくしていると飽きてしまっていつのまにか棋譜並べはしなくなる。そういうことが一度ならず何度も起きている。

3/15

意味を求めすぎたら嫌になる。だから何にも意味のないものがいい。だが決して意味がないというわけではない。よく分からないがそんな感じだと思う。絵を描いた意味とか、こういうことをした意味とか、文章の意味とか、そんなことを聞いたってどうでもいいじゃないか。重いんだよ、一回一回。でもあえてうす味にして意味をなくすのは違う。それはただの甘えだ。決して無理なく、技巧も感じられない平凡な行動が何よりも強いのだ。そういう気構えでやっていればいいのだと思う。

3/14

花束の模造品をどこに置こうかと迷ったあげく、天井近くの溝にぶっ刺した。遠くで見ると神棚か何かに見える。3月いっぱいまであそこに置いといてあとで処分しようと思う。最初は違和感がすごかったが今では部屋に馴染んでる気がする。どうしよう、この件に関しては特に書くことがない。書き出せばなにか出ると思ったが大間違いだったようだ。うーん、困ったなあ。将棋の手筋の本を書店で見てみたが2問目ですでに難しかった。終わり。

3/13

天ぷらそばが食べたい。かつ丼も食べたい。最近花粉症なのか目をごしごしかいてしまう。でも軽度なのでそれが花粉症なのかは分からない。たぶん花粉症なのかもしれない。まあ木にとってもじゃんじゃかじゃんじゃか人に切られまくってるからがんばらなくてはいけないのかもしれない。都会はほかと比べて花粉はひどいのだろうか。アスファルトに潜らせるためにたくさん撒き散らかしているのかもしれない。そう言えば昨日六角鉄棒を注文した。

3/12

日課というのは大事だと思う。毎日少しずつやるだけでできなかったことができるようになるからだ。しかし人生は短いからある一定以上のことはできない。到達点が決まっている。さらには肉体や頭の衰えもあって能力が下がることも少なくない。日々の生活の足しにならないことをやる意味はないのだ。それでも日課は続けていくべきだと思う。そこまでいくともはや自分のためではなく、ほかの人のためになっているのではないか。そのようなまじめな老人になりたいと思う。

3/11

いちごを食べた。名前は忘れてしまったが確か和風な名前だったと思う。思えばいちごにもいろんな名前がある。紅ほっぺとか、あまおうとか、とちおとめとか。でも食べてみるまでは「ああこういういちごだったか」ということは分からない。食べたらこれが〇〇ねということになるが、今度食べるのは三ヶ月ぐらい後なので、すっかり忘れてしまっている。でもそれがあるから毎回新鮮な気持ちでいちごを食べられる。名前でいちごを食べてるわけじゃないんだから、いちごはいちごだと思う。今日はいちごを食べました。